夢の身体
読み: ゆめのしんたい
カテゴリ: スピリチュアル用語
夢の中の身体は、覚醒時の身体と何が違うのか
夢の中でも、私たちは身体を持っています。ただしその身体は、覚醒時の物理的な身体とは性質が根本から違います。夢の身体は空を飛び、壁を通り抜け、瞬時に別の場所へ移り、動物や他人へ姿を変えます。それでいて、痛み、重さ、軽さ、温かさといった感覚のほうは、覚醒時と変わらない生々しさで体験されます。ここが夢の身体の面白いところです。できることは物理法則から外れているのに、感じ方は身体に属したまま残ります。プロセス指向心理学の創始者アーノルド・ミンデル (Arnold Mindell) は 1982 年の著書『Dreambody』で、夢の中の身体体験を覚醒時の身体症状と結びつけて論じました。夢の身体を「想像上の身体」ではなく、体験としての手触りを持つものとして扱う見方です。
飛べる夢と飛べない夢 - 夢の身体の自由と制限
飛行の夢は、夢の身体の制約のなさが最もはっきり現れる場面です。飛ぶ夢は、制約からの解放、視野の広がり、高揚した気分と結びつけて読まれてきました。逆に、飛べなくなる夢や落下する夢は、その能力が失われていく体験であり、自信のゆらぎや、物事を自分で動かせない感覚と重ねて読まれます。ここで見落とされがちなのは、自分が夢を見ていると気づいている明晰夢の状態でさえ、飛ぼうと意図すればいつでも飛べるとはかぎらない、ということです。夢の身体は決まった性能を持つ道具ではなく、そのときの心理状態に応じて振る舞いが変わるものだと考えたほうが、実感に近くなります。
変身が抵抗なく起こるという体験
夢の中では身体の輪郭がゆるみ、変身が抵抗なく起こります。自分が動物になる、性別が変わる、年齢が変わる、身体の一部が別のものに置き換わる。こうした体験は、目覚めている間はひとつにまとめている自己像が、実際には何層にも分かれていることを思い出させます。動物への変身をより本能的な側面との接触として読み、異性の姿への変化をアニマやアニムスの概念に重ねて読む解釈は、当サイトでもよく使います。ただしこれはユング本人の論考をそのまま紹介したものではなく、概念を借りた当サイトの読み方です。変身の夢が残していくのは、自分についての固定した像が思うほど固くはない、という感触のほうです。
身体症状と夢の身体をつなぐ見方 - どこまで信じるか
ミンデルの議論の核心は、夢の中の身体体験と覚醒時の身体の状態が互いを映しているのではないか、という着想にあります。症状のある部位が夢の場面と重なる、という例がこの議論では取り上げられます。ただしこれは、夢を読めば身体の異常が分かるという意味ではありません。対応があるとしても、その向きも強さも人によって違い、夢から症状を言い当てられるような関係ではありません。痛みや息苦しさが続くときは、夢の意味を考えるより先に医療機関で診てもらうのが確実です。
そのうえでなお、夢の中で身体が軽くなった、痛みが引いた、これまでできなかった動きができた、といった変化は、書き留めておく価値があります。診断の材料としてではなく、自分の状態がどちらへ動いているかを測るささやかな手がかりとして、です。
動かない夢の身体 - 走れない、力が入らない
飛行や変身とは正反対の体験も、夢の身体には含まれます。足が前に出ない、殴っても力が入らない、空気が水のように重くて進めない。生理学的には、レム睡眠中に筋肉の活動が抑えられている状態と結びつけて説明されます。眠っている身体は実際に動けませんから、夢の中の意識が身体に命令を出しても返ってくる感覚がありません。その欠落が、重さや金縛りとして夢に織り込まれるという筋書きです。
心理的には、動かない夢の身体は、努力と結果が噛み合わない時期の像として読まれます。動いているのに前に進んでいる感じがしない、言い返したいのに口が動かない。飛ぶ夢が可能性の広がりを表すなら、こちらは制約の下での主体性を表します。悪い前兆として読む必要はありません。自分がどれだけ動けると感じているかの目安であり、同じ人が同じ時期のうちに両方の極を体験することもあります。
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