亡くなった後も孫でいられる場所
亡くなった祖父母の夢は、別れた後も途切れずに続いている祖父母との関係を、子供の頃の目の高さで描き出す夢です。夢の中の祖母はいつもの台所で鍋をかき混ぜ、祖父は縁側の座布団の上で新聞を広げていて、二人がもういないという事実だけが場面の外に置かれています。この夢が映すのは、悲しみの深さよりも、祖父母から受け取ったものがまだ自分の中で働いているという手応えです。
葬儀で手を合わせた日ではなく、何でもない平日の夕方に、祖母の煮物の味がふと舌によみがえることがあります。法事も命日も関係のない日に浮かぶその味と同じく、亡くなった祖父母の夢も、祖父母ゆずりの習慣や口癖が暮らしの中で顔を出した日に、その持ち主を夢の中の台所や縁側に座らせます。
祖父母は夢の中で何をしているのか
- 亡くなった祖母が笑顔で出てくる - 祖母が玄関先に立ち、昔と同じ顔でこちらを見て笑っています。言葉のない笑顔は、生前に交わしそびれた挨拶の続きを、夢の中で一つ済ませる場面です。
- 亡くなった祖母が怒っている - 祖母が眉を寄せ、聞き覚えのある口調で何かをとがめています。とがめられた中身を覚えていなくても、口調の細かな抑揚までは聞き覚えのとおりに再生され、祖母の声が記憶の中で細部まで保たれている形です。
- 亡くなった祖母が料理をしている - 台所に立つ祖母の手元で、包丁がまな板を打つ音が規則正しく響いています。手順を目で追うこの夢に重なるのは、教わりきれなかった味を自分の手で再現したい願いです。
- 亡くなった祖父母と一緒に食事をする - 祖父母の家の座卓を囲み、大皿から取り分けた料理を一緒に食べています。席の並びや箸置きの形まで昔のとおりに描かれた、家族が一つの卓に集まっていた時間の重みを伝える食卓です。
- 祖父母がもう一度亡くなる - 夢の中で祖父母が倒れ、病室や葬儀の場面がもう一度繰り返されます。二度目の別れの場面に、最初の時には気持ちが追いつかずに済ませきれなかった見送りの続きが映ることもあります。
- 亡くなった祖父から何かを渡される - 祖父が黙って手のひらに載せてくるのは、古い腕時計や家の鍵です。手のひらに載った時計や鍵の冷たさに、祖父が担っていた役目のうち、自分の番が回ってきた部分が重なります。
- 亡くなった祖父と話す - 縁側に並んで座り、祖父と天気や庭の木の話をしています。中身の乏しい会話でも、目覚めた後まで温かさが残ることがあり、この場面の読みどころは話の内容より、声の調子が届いたことのほうです。
- 祖父母が若い姿で出てくる - 古いアルバムの白黒写真でしか見たことのない若い頃の祖父母が、知らない町の通りを歩いています。少し離れて二人の背中を追う夢の中の足取りは、家族の歴史を自分の生まれる前の時代へさかのぼる道行きです。
- 亡くなった祖母が寝ている - 祖母が布団の中で静かに寝息を立て、起こさないように足音を忍ばせて部屋を出ます。眠る祖母のそばを離れる場面は、穏やかな姿のまま別れを済ませたいという願いと結び付いています。
- 亡くなった祖父母の家にいる - もう人手に渡った祖父母の家なのに、廊下のきしむ音も畳の匂いも元のままです。家の細部の確かさは、祖父母と過ごした場所が失われても、そこで身に付けた暮らしの感覚が手放されていないことを物語ります。
見送りと里帰り
亡くなった人の夢が、続柄を問わず、失った人をどう見送っていくかという過程を描くのに対し、亡くなった祖父母の夢では、祖父母の家の台所や縁側、夏休みに囲んだ食卓といった、子供の頃に通った場所が舞台になります。見送りの夢であると同時に、もう帰れない家への里帰りの夢でもあることが、この夢に固有の点です。
死んだ人が生きている夢は、亡くなったはずの人が当たり前のように暮らしている場面を通して、死を知っている自分と何も知らない夢との食い違いを描きます。亡くなった祖父母の夢で目が向くのは、その食い違いよりも、祖父母の手から何が自分へ渡ってきたかという、世代をまたぐ受け渡しのほうです。生きている祖父母を描く祖父母の夢が、続いている関係や会いたい気持ちに結び付くのに対し、こちらの夢はもう会えない人から受け取ったものを一つずつ数え直す夢です。
親族が集まる法事の席
年忌法要は、故人の祥月命日のうち定められた年に営む仏事で、一周忌、三回忌、七回忌と続き、三回忌は亡くなった年の 2 年後の法要です。法要の日取りを相談する電話がかかってきた月には、カレンダーに印を付けながら、何年も会っていない親族の顔を一人ずつ思い浮かべています。法事の席で交わされる昔話は、祖父母の若い頃の出来事や口癖を何年ぶりかで呼び起こし、その晩の夢に場面を貸します。
三回忌の後、寺の境内で叔母が祖父の歩き方を真似て親族が笑った晩、夢の中の祖父は、同じ歩き方で寺の石段を一段ずつ上っています。
二重過程モデル - 悲しみと日常の往復
日々の悲嘆の扱い方を論じた、夢の研究ではない枠組みを、ここでは亡くなった祖父母の夢に重ねて読みます。二重過程モデルは、マーガレット・シュトレーベとヘンク・シュットが 1999 年に学術誌『Death Studies』の論文で示した、死別への対処の枠組みです。このモデルは、喪失そのものに向き合う側と、喪失の後の暮らしの変化や新しい役目に取り組む側の二つを置き、その間を行き来することを健やかな対処の形とみなします。喪失の直後は喪失の側に、時間がたつにつれて暮らしを立て直す側に、少しずつ重心が移っていきます。
この往復になぞらえると、祖母の台所で手順を見つめる夢や、祖父母がもう一度亡くなる夢は、喪失そのものに向き合う側に立つ場面です。祖父から鍵を渡される夢や、若い祖父母が知らない町を歩いている夢は、祖父母のいない暮らしの中で新しい役目や見方を受け取る側に立っています。一晩の夢の中で二つの場面が入れ替わるのは、悲しみと日常の間を行き来する動きが、眠りの中でも続いている形です。
受け継がれる手の動き
継続する絆とは、亡くなった人との結び付きを断ち切らずに保ち続けることを、悲嘆の自然な一部とみなす考え方を指す言葉です。この考え方は、思い出や心の中で交わす対話と並べて、夢を、亡くなった人の存在が感じ取られる場の一つに数えています。亡くなった祖父母の夢を何度も見るとしても、別れをまだ受け入れられていない印として読む必要はありません。
祖父母との絆は、言葉より手の動きで受け継がれていることが珍しくありません。祖母と同じ順番で洗濯物を干し、祖父と同じ折り目で新聞を畳んでいることに、ある朝ふと気付く人がいます。夢の中で祖母が料理をし、祖父が何かを手渡すのは、そうした手の動きの持ち主を、その動きと一緒にもう一度見せる場面です。
怒る祖母の夢も、この絆の内側で起きています。生前にたしなめられた口調が夢でそのまま聞こえるのは、祖母の物差しが手放されずに使われ続けているからで、夢の中の叱責は罰の予告ではありません。
子供の頃の呼び名
夢の中の祖父母は、あなたを何と呼んでいたでしょうか。大人になってからは誰も使わなくなった呼び名や、祖母だけが付けていた語尾で名前を呼ばれる夢があります。その呼び名を口にする人は、祖父が亡くなり、祖母が亡くなるたびに、家族の中から一人ずつ減っていきました。
夢の中でその名を呼ばれ、振り向いた瞬間に目が覚めることがあります。振り向いた先の寝室には誰もいません。枕に頭を戻し、祖母が付けていた語尾まで添えて、その呼び名を自分の声で小さく口に出してみます。